四角い彫刻:801 2021 / ミクストメディア / 31.5x42.5x8cm
四角い彫刻:801 2021 / ミクストメディア / 31.5x42.5x8cm
四角い彫刻:801 2021 / ミクストメディア / 31.5x42.5x8cm
四角い彫刻:801 2021 / ミクストメディア / 31.5x42.5x8cm
四角い彫刻:801 2021 / ミクストメディア / 31.5x42.5x8cm
四角い彫刻:801 2021 / ミクストメディア / 31.5x42.5x8cm
ざらにあるインシデント 2022 / ミクストメディア / サイズ可変
ざらにあるインシデント 2022 / ミクストメディア / サイズ可変
展示もいよいよ折り返し地点となった。久保田が以下のテキストを書いて 10 日あまり。ロシアとウクライナの戦争は依然として 膠着状態にある。自分はその状況をただ見つめることしかできないのだろうか?自己嫌悪に陥るが、他にできることを考えてみる。  小さい頃のことを思い出す。頭上には自衛隊の航空機の轟音が響く。私の手には親に買ってもらったばかりの犬のぬいぐるみが握 られている。頭部は虹色のアフロで覆われているが、胴体は裸だ。私はそのことをとても可哀想に思う。私の横で親がシャツのボタ ンを付けている。私は親の裁縫道具を借りて、幼稚園のスモックの余り布を使って犬の洋服を作る。  これが、私が進んで作る行為をした一番古い記憶である。私はこの記憶にかすかな自信を抱く。何かを作ったこと、自分の目の前 の光景を変えたいと思ったこと。飛行機の轟音は消せないけれど、犬は服を着ることができた。  私は、こういった行為こそが何かを変えるきっかけになりうるかもしれない、と思う。そして、そうであってほしいと切に願う。
(2022.3.11 原田追記)
ロシアのウクライナ侵攻のニュースが流れる最中に今回の展示の設営をして、このテキストの一部を書いている。この展示のそれぞれの作品はその事件に関して直接言及することはないかもしれない。しかし、何かの困難に直面した時の立ち向かい方や避難の仕方のヒントになるようなものはあるように思う。(2022.2.26 追記 )

「(((((,」は〈かっことじない〉と便宜的に読む。この造語は、「開かれた」「結論を出さない」という意味を持つ。整然と並ぶ「かっこ」に、一旦「読点」が打たれているこのタイトルは、立ち止まって観客と一緒に「あたりまえ」を考えてみる本展示の振る舞いそのものと言ってもよい。ここに参加する各作家は、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、身体、そして自らが参画している現代アートそれ自体にもアプローチする。自身にも、他人にも押し付けている「あたりまえ」を分解した先には何があるのだろうか?
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展示に関するノート
うらと倉敷による視点の反転、ミラーリング
2 階奥に作品を置いている倉敷安耶は食事をする事に関心があるようだ。いつも記念ごとがあると仰々しいくらいにご馳走を作る。そしてそれをいろんな人と一緒に食べる。食べるという行為は、他者の欠片を口にしてその相手と融合していくということだと彼女
は嘯く。自身と他者との融合は彼女がいつも話している欲求である。そしていくつかの鏡は、その欲求を空想的な方法で解消させうる装置かもしれない。うらの扱うパフォーマンス作品や映像作品は他者の行為のミラーリングである。自分の振る舞いを他者に委ね
ることのできる彼女のあり方は随分と柔らかい。こうあるべきという合理性を軽やかに回避しているようだ。今回も周りの環境や状況に影響を受けてアウトプットの形式が変わった。彼女の作品は態度としてあり、都度その装いを変えることができる。この建物か
ら出る時少し振り返って見上げると、もう一点彼女の作品があることに気付けるかもしれない。

アリウェンと檜皮の目線の高さの話
アリウェンはチリ出身のノンバイナリーのトランス女性。活動家、キュレーター、研究者などいくつかの側面を持っている。彼女は日常的にフィルムカメラでの写真を撮り溜めている。そんな中でのライフワークとも言えるプロジェクトが『自由の星』/《Stars of Freedom》である。彼女は自身のジェンダーにまつわるいくつかの困難に立ち向かっている。そんな自身に対する自由への象徴が今作の被写体「にきょうくん」である。そんな「にきょうくん」の身長と同じくらいの高さにプロジェクションは投影されている。(※被写体である彼への配慮のため、この作品のみ撮影が禁止。)檜皮一彦は自身の身体欠損とそれに伴う車椅子の使用に関連して制作を行う。彼はキュレーターである原田にろくろを使わせて、粘土で自身の身体の足りない部位を作らせる。そして今回の新作の1つは目線の高さを意識させる。エレベーターの上部に設置されている映像は、例えばハシゴに登るなど、一手間工夫しないと簡単に見ることはできない。そして檜皮自身はいつもその手間や工夫を行っている。

大橋とパクの作品が持つ可搬性とマスキュリニティからの退避
大橋鉄郎は北海道在住でパク・サンヒョンは韓国のソウル出身である。2 人の作品に共通している可搬性とコンパクトさは、2 人ともいかにも美術らしいマッチョな振る舞いを回避するための形式でもある。大きさや重力は往々にして人の動きを制約するからだ
ろう。パクは自身が異邦人であり、クィア当事者であるという環境からいくつかの景色をモチーフにしている。彼の組み立てしやすくコンパクトな作品であれば、いざという時、それらと一緒に別の景色の場所に引っ越しすることもできるだろう。大橋の作品は現代における情報の受け取り方に関して考えているといつも紹介されているが、少し別の側面も持っている。その一部の作品には自身の性別への嫌悪感が動機として存在している。キャンバスではなく、なるべくチープな紙にプリントして YouTube で人気のコスメをペーパークラフトに。なるべくアートらしさや作品らしさ、こうあるべきという形式から退散する。
ver2.0 文責 : 久保田智広